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Participative learning / 参加型学習

Tweet ピーター・ユスティノフという著名な英国人俳優が、彼の学生時代について語ったことがありました。「世界で一番偉大な作曲家は誰ですか」と音楽の先生がきいたときの様子の回想でした。ユスティノフ少年はすぐに「チャイコフスキーです」と答えたのですが、先生は彼が間違っていると言いました。他の子たちは、それ(先生が欲しかった答え)がベートヴェンであるとわかっていましたし、その時、ユスティノフ少年は目立ってはいけないんだと悟りました。 教室で行われている教育方法は、その時代とは随分と変りました。例えば、「やることで学ぶ」というような参加型(能動的)学習がしっかりとした知識と理解を植えつけるのにどれほど大切かということが広く知られるようになってきました。だからといって、これは特に新しい考え方ではありません。孔子曰く「不聞不若聞之,聞之不若見之,見之不若知之,知之不若行之。(聞かざるは之を聞くに若かず,之を聞くは之を見るに若かず,之を見るは之を知るに若かず,之を知るは之を行ふに若かず)」 芸術教育の中でも特に音楽教育では、つい最近になるまで生徒たちにある作品を示しては、それがどれだけ有名で、どの時代に作られて、作者がどのような時代経験を経たのか、などの情報攻めにすることが一般的でした。確かにどれも興味深いことではありますが、理解するということにはあまりつながりません。 理解するというプロセスは、いうならば携わることです。実際に、やるということです。音楽教育でのジレンマは、よくありがちな誤解で、「やる」ことは「やることが出来る」能力を持っている人たちと捉えられてしまうことです。すなわち、高度なレベルで訓練された演奏家たちです。 音楽家育成のための方法では、何時間もかけて楽器をさらい熟練させ、それでいながら音楽を理解するための勉強も取り入れられてきました。 基礎的には、作曲家がよく作品を創り始めるときに用いるのと同じ要素を使っていて、それらを勉強グループに実践と実験的試みを促すように紹介していきます。複数の回答が創りだされるわけですが、そこでやっとそれらをそれぞれと比較し、さらに原作と比較することが出来ます。 このように勉強をすすめることは、音楽への造詣を深めるだけではなく、カリキュラム(国が指定する学習指導要領)の他の分野も含むことが出来ます。同時に、それは国際的関連性にも通ずると思います。 スペインのカタロニア地方で教育関係者たちの同意を得て実施しているプログラムでも、以下のような関連性が指摘されています。 個人レベル o 自主性 o 表現能力の拡大 o 規律 o 分析能力/クリティカル・シンキング(批判的思考法) o 自己形成と自発性 o エモーショナル・リテラシー(感情制御知識) 対人関係レベル o 自分以外の人間への尊重(考慮) o チームワーク o 問題解決能力 o コミュニケーション能力 市民レベル o 多様性(の享受) o 文化的自覚 これらを達成する課程は、表現者でありながらも特別なトレーニングを積んだ実践者たちと協力して行われれば、非常に大きな効果が期待出来ます。 このようなメソッドが効果的であるかどうかというのは、議論するまでもありません。このメソッドが携わる人々に人生に大きく影響するような体験を推奨することでき、考慮すべきものと確証づけられています。 The famous actor Peter Ustinov once told a story about his school days. He recalled how his music teacher had asked “Who is the world’s greatest composer?” The young Ustinov immediately responded with “Tchaikovsky”, at which point his teacher told him he was wrong, that everyone knew it was Beethoven, and that he should “stop showing off!” The methods of classroom-based education have changed in many ways since that time. For example it … Continue reading

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Working in partnership / 歩みあい、協力しあうこと

Tweet ウィンストン・チャーチルは、その辛口なウィットとな明解な見識でよく知られていますが、彼は英国とアメリカのことを「共通の言葉でわけられた二つの国」と言い表わしました。 お互いへの思い込みというのは面白いもので、チャーチルの歴史的名言の奥底にもそのような思い込みが潜んでいるように私には思えるのです。 似たようなことが、アーティストや音楽家たちが学校でワークショップをするときにも、しばしば起きます。 新しい領域に率先して取り組み、踏み込んでいこうとするアーティストはなかなかいません。ほとんどの場合、どんな理由があるにせよ、先生との事前の打合せや情報交換もきちんとしないまま、ワークショップ当日がやってきてしまいます。 これは決して片方に非があるというわけではありません。先生方にとっても、もう少し一緒に活動をするアーティストたちのことをアーティスト側の視点も含め て知ることで、何をアーティストたちに求めることができて、何ができないかなど、事前にわかるようになるのではないでしょうか。 今まで多くの教師と音楽家対象のトレーニングプロジェクトを行なってきたなかで、教師と音楽家たちをごちゃ混ぜにして、グループごとに話し合いをさせると本当に面白いことが起きます。 教師でない人たちはなかなか見えないことがたくさんあると思います。先生方が日頃どれほどの書類作業をこなしているのか、教室変更など予定を変更するのがどれだけ簡単なのか。これらは学校運営というものに大きく関わってくるのですけれど。 一方で、音楽家たちの日常生活がのんびりしているわけではなく、芸術の世界でキャリアを積んでいくのがどれほどシビアで大変な労力がかかるのかということは、先生方には驚きなのかもしれません。 もちろん書類作業やリハーサル予定をこなしていくということ以外にも議論できることはたくさんあるわけですが、私がいつも感じるのは、2つの違う者同士の関係が一旦築かれると、その関係はより固く強い協力関係へと発展していくのです。 だから、私は学校に行くアーティストたちに、どうしたら一番良い形で協力体制を作れるのか考えるように言います。先生方の生活を特に左右するような要素を 理解することにも繋がります。それは、例えば、学習指導要領であったり、法的な資格だったりします。別に先生を目指しなさいということではありません。た だ、先生方が顔を併せているそういうものを理解し、正しく認識することが必要だと思うのです。 かつてウッディ・アレンがジョークで言ったように、もしかしたら「他人の靴で1マイル歩いてみたらわかる」ことなのでしょう。でも、歩いたところで、靴はそのまま手元(足下?)にあるかもしれませんが、その人はまたさらに1マイル先に進んでしまっているのかもしれません。 ———————————— Winston Churchill was well known for his acerbic wit and perspicuous insights. He described the English and the Americans as being ‘two nations divided by a common language’. It is interesting, the assumptions we make about each other. And I think that this is what lies at the basis of Churchill’s historic quote. I see it often in schools when artists and musicians are brought into schools to run workshops. It is rare to find an artist that has spent time trying to understand the new territory into which they have been invited. Too … Continue reading

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Starting a workshop / ワークショップをはじめよう

Tweet 少し昔の話になりますが、アッシュブリッジ・ビジネススクールのトレーニングコースに参加しました。内容は「組織内文化の変化」。このトレーニングコースが、一般にアーティスト向けに行われているものとだいぶ違ったというのはご想像のかぎりかと思います。 あるひとつことが特に印象に残っています。それは講師たちが何度も繰り返して使った言い回しで、ワークショップやビジネスプレゼンテーションなどのはじめ にもよく用いられます。それは彼らが言うところの「切り出し文句(直訳:運命を決める最初の言葉)」で、どのように初めて会う人や団体とコンタクトをとる かが自分自身の認識に大きな影響を与えてしまう、ということでした。 では、もし、その「超重要」なイントロダクションが自分の言葉でなかった(他の人がイントロダクションを代わりにしてしまい、それが自分の思惑通りでな かった)場合、その後をどうやって繋げていけば良いのか、本当に難しいところです。何をどんなケースのことを言っているのかおわかりでしょう。いかにも意 味ありげな面持ちで担当の人が、「さて、皆さん、よく聞きましょう。今日は○○さんをお迎えしました。本当に光栄ですね。……」とよく言いますよね。ファ シリテーターにとっては、最初の15分間というのは参加者と良い人間関係を築くための大切な時間なのに! これがなぜ問題なのか、私自身もよくわかりません。おそらく、教える側からファシリテーター側への力の心理的転移、これがそもそもの混乱の始まりでもあり ますが、に関係しているのかもしれません。しかし、たとえどのような状況になろうとも、担当者の気分を害することなく、そのような事態を避けないといけま せん。 1960年代にアルバート・メラビアンがこの事に関して研究を行い、人間の心理学的な知覚は主に容貌で決定づけられ、話の内容で決定づけられるのではないと発表しました。(55%―身体言語、38%―声のトーン、7%―使われる言葉そのもの) ※「メラビアンの法則」や「7-38-55のルール」などとも呼ばれます。 では、一体この「メラビアンの法則(もしくは「7-38-55のルール」)」がワークショップの現場でどのように役立つのでしょうか? 私にとっては、会場になる建物に一歩踏み入れた瞬間から、ワークショップは始まります。例えば、学校が会場になったときには、壁に何が掲示されているのか メモを取ります。既製のポスターなのか、子供たちの作品なのか。どうやってコミュニケーションがとられているのか。どのような言葉が使われているのか、ど のような文化的パターンがとられているのか。それから、皆が助け合おうという空気があるのかどうか。これらの全ての情報はワークショップに組み入れること ができ、本当に有益なものとなります。 過去に一度、ヴィヴァルディの『四季』を題材に学校向けに音楽プロジェクトを行ったことがあります。学校の廊下には子供たちが描いたたくさんのときの絵が あったので、それらをワークショップの始めに使うことにしました。子供たちは私が絵に気づいたことに喜びましたし、何よりも絵を描いている時に彼らが考え ていたことをワークショップに上手く応用していました。 今まで私がお仕事をさせていただいた多くの人はご存知だと思いますが、私はよくワークショップを言葉を一切発しないでワークショップを始めます。このテク ニックは、違う国に行ったとき、特に言語が壁になりそうな場合のときに使うようにしています。道化師とトレーニングを受けましたが、彼が無言のまま人々の 注意を引きつけておく能力には驚かされました。 私がこの始め方が好きな理由として、無言でのやりとりによって暗黙的なコミュニケーション階層を作れるということが挙げられます。これが上手く出来ると、 参加者たちはグループ内の自己統制のような感覚を発展させることができます。これはワークショップの残りの部分に大きな影響を与えます。だからこそ、初め て参加者とコンタクトをとる時から、このようなこと考えて、始めていくことが大切になるのです。 ロンドン交響楽団に在籍していた時に、リハーサルにやってきた新しい指揮者がオーケストラの団員たちに最初の数秒で「品定め」されていったか、今でも覚えています。もし、この一番最初の一番肝心要の部分を間違ってしまうと、後で厄介になるものでした。 ———————————— A little while ago I participated in a training course at Ashridge Business School. The subject was Culture Change in Organisations. As you might imagine it was somewhat distant from the sort of training artists normally undergo. In particular one thing stuck in my mind. It was a phrase used many times by the business tutors, and referred to the opening stages of a workshop or a business pitch. They talked about the ‘first fateful words’. What they meant was … Continue reading

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Making Things Easy / わかりやすくすること

Tweet 「ファシリテーター(英語直訳:まとめ役、進行役、世話人など)」という言葉は興味深い言葉です。ファシリテーターの語源は、フランス語の簡単であるということを意味する「facile」からきています。それは、まさに我々、ファシリテーター、が何をするべきなのかについて言っていると思うのです。人々が理解しやすいように噛み砕いていくこと。 これは、決して難しいけれどやりがいがあるものを(ワークショップ参加者に)課題として与えることの渋るべきだというわけではありません。参加者に新たな 挑戦を与えることで、自身の限界まで引き延ばしてあげ、彼ら自身が発見をし、成長できるように上手くリードすること、それこそがファシリテーターの「スキ ル」です。一つの考えをめぐって、あれこれ考えることから本当の学習体験が始まるのです。 少し前に、アーティストである友人が蝶の話をしてくれました。蝶が蛹(さなぎ)から出てくるとき、繭で覆われた蛹の殻を破り外に出るのに必死の格闘をひろ げます。しかし、必死にもがくことで羽根に流体(体液)が流し込まれて、羽根が少しずつほどけてくるのです。もしこの過程を通らなければ、羽根は全く機能 しないままで、蝶は飛ぶことすら出来ない、というのです。 蝶とは違って、私たち人間は社会生活を営む生きものです。私たちは他の人たちと経験を共有することで、さらに学習体験を改善することができます。 ファシリテーターがその場で生まれでる質問や積極的な意見を反映して、ときには裏話などにも織り込みながら、プロセス自体を噛砕いていくことでが、「共有する」というプロセスの効果を生むのでしょう。 重要なことは、共有している時間は参加者が向学するための時間であるということで、それは常に念頭に置いておかなければいけません。そして、ファシリテー ターがどれだけきちんと耳を傾けているのかどうか、またファシリテーターがより深く踏み込んだ考えを引き出すための質問をどのように組み立てるのかによっ ても参加者たちの議論は大きく影響されます。 ———————————— The word ‘facilitator’ is interesting. It comes from the French; facile, meaning ‘easy’. And I think that it says what we, facilitators, are meant to do. Make things easy for people to understand. This doesn’t mean that we should shy away from giving challenges. The skill is in giving participants challenges that will stretch them and lead towards personal discovery and experience. It is from this struggling with an idea that the true learning emerges. I was told a story about the butterfly by an artist friend of mine a short while ago. When the butterfly … Continue reading

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Why on earth…? / 一体どうして…?

Tweet それは息をのむような素晴しい瞬間でした。 6歳の小さな女の子が、杉並公会堂で手を叩いていたのです。それも、20世紀を代表するオーケストラ作品のなかでも特にリズムが難しいとされる、ストラヴィンスキー作曲の「春の祭典」のなかの1曲「生け贄の踊り」にあわせてです。 女の子が神童だったということではありません。その女の子は、その日、音楽のワークショップにたまたま参加しただけなのです。違う種類の記号が書かれてい るプリントを見ながら、手を叩き始めて20分もすると、その子はグループの中心にいました。そして、仲間をリードしながら、見事に演奏を発表しました。こ れには周りで見ていた演奏家たちも、開いた口が塞がらないという様子でした。 もちろん、このワークショップには、無作為にプリントを組み合わせて手を叩くリズム遊び以上のことが盛り込まれています。しかし、この女の子を例にとって もわかるように、単純で、かつ計画性をもって取り組めば、どんなに複雑極まりないとされている作品でも、その作品が本来持っている不思議な魅力を失わせず に、もっと身近なものにできるのではないでしょうか。 これが、私が芸術教育に最も惹かれる原点です。たとえて言うならば、新しい窓を開く可能性、という感覚でしょうか。 今まで世界中の様々な場所で仕事をする機会に恵まれましたが、その中でも、特に日本には強い思入れがあります。過去15年間にわたり、社団法人日本オーケ ストラ連盟(以下、オケ連)のパートナーとして招聘いただき、日本各地に拠点を置くオケ連会員の24のオーケストラのために、エデュケーションプログラム を開発してきました。いつ日本を訪れても、私にとっては毎回「冒険」で、今までに何度「マイクさん、次は何をやりましょうか?」と声をかけて いただいたのかわかりません。 今まで私がいただいてきた暖かい皆様のお気持ちに、少しでも恩返しするためにも、私の考えや素晴らしい思い出―それは焼けるほど暑い体育館にいてくれた小さな子供たちから皇后陛下に至るまで―を、このブログで皆様と共有できたらと思っています。 (Translation: Yukiyo Sugiyama, 訳:杉山幸代) ———————————— It was breathtaking to watch. A tiny 6-year old girl in Suginami clapping her way through one of the great rhythmical challenges of the 20th century orchestral repertoire; the Dance Sacrale from Stravinsky’s Rite of Spring This was not another pre-pubescent prodigy. Just a little girl who had turned up for a music project. And after 20 mins of playing with a selection of pre- printed papers, each with a different set of symbols, she led a group of her friends in a rhythmical rendition that left all of the … Continue reading

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